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法治国家

執筆者の写真: KK

更新日:2023年8月24日


最近の日本って、統一教会の話で持ちきりで、柴犬としても、ちょっと気になってて、「違うな」って思っていることがあるから話すわね。本当だったら、ブログ始めたばかりだから、初めは面白い話をいくつもしたいところなんだけど、つまり、落語で言うと「つかみ」ってことよね。ちなみにわたしは、統一教会擁護派ではないし、わたしの宗教的信条があるとすれば、「すべてのものに神は宿る」よ。ソコントコよろしく!

「柴犬の宗教的信条ってなんなん?」って?そんなこと言う人は、このブログ読まなくていいから早く風呂入って寝なさい!

それ以外の人!このブログ、長いわよ〜寝ないでね!


例え話をしてみたいの。1人の犯人にあなたの愛する人が何人も、例えば強姦なんかで人間としての尊厳も奪われて、無残に殺されたっていう設定よ。あなたは犯人を自分の手で殺してやりたいと思うほど憎むでしょうね。具体的に刺身包丁で突き刺して殺してやれば、立派な復讐を遂げたことになるでしょうし、それを「よくやった!」って言ってくれる人も中には出てくるかもしれないけど、日本は法治国家でしょ?それは決して許されないの。何故なら「復讐は合法である」って憲法に書いてないから。「そんな単純な話かよ!」って?実は、単純な話だと思う。なんでその記載がないかというと、だって人間は、しばしば判断を間違うでしょ?全く関係のない人を犯人と思い込んで「復讐だ」って言って殺すなんて過去に事実としてあったし、復讐を正当化すれば今後も起こりうるから、そんなこと書いてないんだと思うわ。復讐は合法だって書いてない方が悪いというんだったら、憲法を改正してその法律を作って、それが施行されてから復讐しましょうね!

それならいいわよ。あっちこっちで復讐劇って、それはそれで刺激的かも。


わたしは、犯人を捕まえて裁判して、選ばれた第三者が死刑っていう判断を下したら、当然、死刑でいいと思う。わたしは、日本の死刑制度を支持しているわ。だけど、死刑ヤレヤレとは思わないの。国家権力を使って死刑にすることが妥当とされるためには、「裁判でその判断が下された」ということがわたしにとっての大前提よ。現場の警官の判断だけで、必ずしも「緊急避難」でない場合にも簡単に犯人を射殺(「処刑」)するアメリカなんかに日本の死刑制度を非難する資格はないと思うわ(キッパリ!)。ここで「復讐が合法である」という法律がある方がいいか、ない方がいいかなんて議論は、暇な時に他所でやってね!憲法が問題を抱えているとしても少なくとも日本では、「憲法に従う」としているのよ。カルロス・ゴーンさんは、「私の方が正しく日本の法律が間違っているから逃げる」って逃げたけど、かのソクラテスさんは、カッコつけて「悪法も法なり」って言って、自ら悪法に従って毒杯を仰いだのよ。法に従うかどうかがその人の判断で勝手に決めていいなら、「法」そのもの、「法治」そのものが意味を失うわね。「ジャングルへどうぞ!」って訳。


この例え話の中でわたしが言いたかったのは、いやしくも「ジャングル」じゃなく、「法治国家」って偉そうに言ってるんだったら、国民は「法」に従わなければならないし(柴犬は従わないけど)、「死刑」という国家権力の行使の場合でも、根拠希薄な「現場の判断」じゃなくて、「法」により裁判が行われ、刑罰が課せられなければならないと、わたしは思うの。他の場合で、K国での「いわゆる徴用工裁判」などでは、客観的証拠に基づかないどころか、どうとでもいえる原告のじいちゃんの「証言」だけを根拠としているだけじゃなくて、「日本の統治は不法であったか?」なんて、両国間でも国際的にも少なくとも「争点」になっていることが明らかな問題を立証もしないで(わたしは、K国側の主張は出鱈目だとK国最高裁判決の日本語版全文を読んで確信しちゃったけど)、一方的に「日本の統治は不法」と決めつけて判決が下されていたわよね。「証拠に基づく〜」や「立証」という法の原則が守られていなかったから、この場合は、「もはやK国は法治国家とは呼べない」のじゃないかしら?しかも、最高裁でやらかしているのよ!つまり、人の行為や国家権力の行使や裁判などで「法や原則に基づかなくてもいいんだ」ってことになっちゃったら、もう「法治国家」の看板はおろして、「全国津々浦々サファリパークです!」って看板に変えた方がいいんじゃないかしら?そのような国の筆頭が、R国やC国なんだろうなって思ってるの。


ゴメン、話が長くなっちゃったわね。いよいよ核心よ。そこのあなた!寝ちゃダメよ!

日本国憲法は、「信教の自由」「良心の自由」または「思想信条の自由」を保障してるわよね?だけど最近は、「統一教会は反社会的であるから日本から追い出してしまえ!」って風潮よね。でも、誰が「この宗教は反社会的である」と判断するんだろうなって思っちゃうのよ。あのクソみたいなオーム真理教でさえ、もし法に触れることをする前の状態だったら、「オームを信じる」だけだったら反社会的であるとはいえないと思うの。だから、彼らの犯罪性が明らかになるまで、信者の家族の嘆きをよそに取り締まることができなかったのよね?最近、河野大臣が、「統一教会は、霊感商法で日本国民から財産を奪い、家庭崩壊などの悲惨な事例も見受けられる。解散命令を出すことも辞さない。」って内容の発言をしちゃったけど、話の筋がおかしいのよ。「違法な行為を罰すべき」→「統一教会が違法行為をやった」→「統一教会信者の信教の自由は制限されて然るべき」ってなってない?最後のやつは、明らかに憲法違反よ!憲法に従う義務があるはずの、しかも「大臣」が憲法違反を堂々と言ってるように聞こえるけど、この国、ほんとにあんなのが大臣って、大丈夫なの?


違法な行為は違法な行為。だけど信仰そのものを弾圧していいの?ピューリタンが信仰の自由を求めてアメリカ大陸に渡り、「内心の自由」をその根幹としてアメリカ合衆国を建国したことに思いを致すことが必要なんじゃない?しかも、歴史的に言えば、「比較的宗教に寛容」といえる日本で(これには異論ありよね?カモン!いつでも相手になるわよ!)、信仰そのものを「弾圧」ってのが「アリ」なら、キリスト教、仏教、イスラム教、創価学会など、その他の全ての信仰をなぜ「弾圧」しないの?お得意の「これはこれ、それはそれ」?


同じ犬種だから応援しているユーチューバーの「カッパ園長」柴犬さんも、こと最近の統一教会問題に関してはやらかしたわね。わたしは、彼の意見にいつもほぼ々賛成!私も統一教会は、日本にとって危険な思想を持っていると思うわ。だから「常識的」にはできれば無くなって貰った方が、日本のためになるだろうというところまでは、園長さんと同じだと思うけど、私はだからと言って、彼らの信仰の自由まで奪う権利はないと思ってるのよ。カッパ園長さんにすれば、「統一教会は、反日だから潰せ」ってことだろうけど、園長さんの「K国バーカ」というのも思想信条の自由が保障されているから(ヘイトと決めつける人たちのお陰でユーチューブで制限喰をらうことはあっても)、決して「弾圧」はされないのよって、分かってないのかしら。思想信条の自由を自分は守ってもらってるけど、統一教会信者は、「反日犯罪者集団だから」守ってやらなくていいって言うの?彼らは全員残らず犯罪者なの?例えば、戦時中、「マルクス主義は許さない」っていう特高警察に小林多喜二がボコボコにされて殺されたわよね。園長さん、あなた今、「特高警察」になってるわよ。鏡を見てご覧なさい!小林多喜二が特高警察にボコボコにされたのと、今、統一教会信者が、統一教会信者ってだけで信教の自由を奪われようとしているのは、「根っこ」は同じよ!園長さんは、あんた自身が政府により制限または「弾圧」されてみないと気づかないのかしら?その時はもう「すでにお寿司」なんだけど・・・。

こういう原理原則を言うと「似非保守」なんていう人がいるけど、


本当に「根性入った真の保守」だけが、「言論の自由」、「思想信条の自由」、「信仰の自由」などが、右も左もなく「全ての人」に保障されないと、つまり「本当の寛容」がないと「本当の民主主義」は守れないんだって言ってるだけのよ!


それでも「弾圧」派の人は、「違法行為と信仰が密接に関係している場合、つまり宗教側の信仰に関るあるプロトコル(手順、または手順とそれを支える思想全体)が、多くの場合において違法行為につながるのであれば、宗教そのものと違法行為の一体性が認められるので、その他大多数の国民の現在及び将来にわたる幸せのため、その宗教を根こそぎ排除することも、また、取るべき道である。」というでしょうね(いよいよの議論のせめぎ合いの箇所に来ていると思う)。それでもわたしは、「大多数の人の意見が、”この宗教は邪教である”としている」ならば、「政府が、それを弾圧しても構わない」という事例を1つでも作ってしまえば、それは、『「多数」が支持すれば、「"個人"の内心の自由」を犯しても構わない』という前例になるわ。例え「世間的」にはどんなに邪悪な宗教でも、その人にとっては「それを信仰する自由」があると思うの。例えば、LGBTについては、内心は「女である」と思っている男性に対し、「お前は外見がまるっきり男なんだから男らしく振る舞うべきだ」と「内心の自由」を捨てることを強要することが許されるの?同じことなのよ!

それとこのような弾圧が「アリ」なら、猫は日本から全員追放よ!だって、猫ってイワシが好きでしょ?だから「イワシ真理教」かもよ?「鰯の頭も信心から」が「許されない」から、「イワシの頭なんか拝む宗教は、邪教であるので、信者である猫は日本から排除」ってなってもおかしくないよ。猫さん災難ね。かわいそう!


私には、極端な右も極端な左も同じに見える(柴犬園長さんが極端な右って言ってる訳じゃないわ。実際にあなたのことがよくわからなくなってるの)。両者曰く、「私の思想・信条こそが正しく、彼らの思想・信条は間違っているので排除すべき」と。両方とも排除の論理が全く同じで「同類」または「鏡映」であることにどちらも気づく様子はないわね。


人間世界のことだから本当は柴犬のわたしにはどうでもいいんだけど、犬の世界でも「柴犬って“ツンデレ”だよな。それって犬らしくないし、生意気だから犬の世界から排除だ!」ってなったら怖い。そんな世界より、"Every dog is a very good dog."(犬ってのは、どの犬も、全く「悪意」なんて持ってないから、犬に「悪い犬」なんていないよ!)の世界に生きたい「派」なのよ。


話が「ちょっと何言ってるかわからない」になっちゃった?もう疲れたから寝るわね。じゃあ、おやすみ!写真は、台風に備え、ワンソック中のわたし。カッコいいでしょう?



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